江戸時代の終わりに、ここで幕府側と官軍との戦いがあった。
古代、毛野河と呼ばれ、江戸時代は衣川・絹川と呼ばれていた。明治に入って鬼怒川に編纂されたようだ。
その支流の小原沢で会津・幕府連合軍と、追撃する官軍の戦いは、会津・幕府連合軍が一般人(マタギ)を利用して、山の上から、細い街道を通る官軍を狙って、銃を発射。東照宮の手厚い加護があった地元民は会津・幕府連合軍の言われた通りするしかなかった。
通ることが困難とわかった官軍は、一度撤退するも、大笹から回り込み、川治方面からやってきた。そして、藤原町全体が焼き払われ、多くの一般人が殺されたという。
現在では、鬼怒川公園岩風呂として解放されているが、その昔からあるこの温泉は、村の人々の怪我や、憩いの場であっただろうと私は思う。